4世紀の権力者の祭祀場か 奈良・秋津遺跡に大型建物群 |
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发布日期:2012-01-20 阅读:次) |
強固な板塀で囲まれていたとみられる区画跡が見つかった奈良県御所(ごせ)市の秋津(あきつ)遺跡(4世紀前半)で、さらに大規模な区画や多数の建物、集落跡が見つかり、県立橿原考古学研究所が発表した。建物は方位をほぼそろえて配置されており、飛鳥時代(6世紀末~8世紀初め)の宮殿以前の建物配置では極めて珍しいという。同研究所は「区画内は一般の住居域ではない特殊な場所で、権力者の祭祀(さいし)空間や館だった可能性がある」としている。
秋津遺跡では1月、両側に柱穴がある幅約20センチの溝で仕切られた区画跡が三つ見つかった。その後の発掘調査で、南側にも区画跡があり、これらの区画を囲むような形で南北約100メートル、東西約120メートルの範囲で、幅1~4メートルの溝が掘られていたこともわかった。
区画内には掘っ立て柱の大型建物跡(東西7メートル、南北10~13.5メートル)が4棟あり、うち3棟が最大の区画(南北50メートル、東西48メートル以上)内で一列に並んでいた。小型の建物跡も13棟見つかり、区画の南側には37棟以上の竪穴式住居群があった。
国学院大の鈴木靖民(やすたみ)教授(古代史)は「初期大和王権に関係がある祭祀遺構ではないか。纒向(まきむく)遺跡(3世紀前半、奈良県桜井市)の次の時代を解明する上で一級の資料」と語った。(渡義人)
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